【コトバ】アフォーダンスとシグニファイア

UIを学ぶ上で必ず覚えなければいけない言葉だと思っています。この2つの言葉の違いを理解することは、UIをデザインする上でとても大きな知識になるはずです。

D.A.ノーマンが著書で語った「アフォーダンス

UIデザイナーのバイブル「誰がためのデザイン」を書いたD.A.ノーマンは、その著書の中で「アフォーダンス(affordance)」について以下のように語っています。

”モノに備わった、ヒトが知覚できる「行為の可能性」”

どういうことかと言うと、例えばあなたがイスを見つけたとき、無意識に「これは座れるもの」と認識するはずです。他にも「持ち上げられる」「移動させられる」「投げられる」「壊せる」とも認識するはずです。これらがつまり「行為の可能性」であり、イスが放つアフォーダンスである、ということです。

もともとアフォーダンスとは視覚認知学者であるJ.J.ギブソンが提唱した言葉であり、そのときの定義は以下でした。

”行為者とモノとの物理的な行為の関係性”

なにが違うんだ?って話ですが、ギブソンは関係性にだけ言及しているのに対し、ノーマンはさらにその関係性を知覚するところまで含めているんですね。ギブソンの定義で言えば、関係性がありさえすれば人が気づこうが気づくまいが関係ありません。ノーマンはギブソンアフォーダンスという言葉をユーザインターフェース向けに拡大解釈した、と言えると思います。

で、この部分はいろんな人が指摘をしていて、後にノーマンは自著「複雑さと共に暮らす -デザインの挑戦-」の中でアフォーダンスという言葉を用いたことが混乱を招いたと書いています。そして、新たな言葉として「シグニファイア(signifier)」という言葉を提唱しました。

「シグニファイア」は「知覚されたアフォーダンス」を表し、先ほども書いた拡大解釈部分を包含した言葉として定義されています。私は初めこの単語を知ったとき、「知覚されたとかされないとかそんなに重要か?イスは座れるように作るのが当たり前だろう」と考えていましたが、「アフォーダンス」と「シグニファイア」の二つの単語を調べているうちに、そこにユーザインターフェースにとってとても重要な考えが存在していることに気づきました。

シグニファイアという言葉が生まれなければならなかった理由

また先ほどのイスの話になりますが、人がイスを見つけたときに可能であると認識できる行為として「投げられる」「壊せる」と私は書きました。確かに可能でしょうが、普通やりませんよね。なぜならそれはイスを使う本来の目的とは外れるからです。通常、イスがあれば座ります。必要があれば、移動させたり高さを変えたりもするでしょう。投げる壊すはせいぜいプロレスの会場で発揮されるぐらいです。

このように、モノが発揮する「行為の可能性」には、実は重要度や優先度が存在します。この存在こそが、シグニファイアという言葉が生まれなければならなかった理由であると私は考えます。

シグニファイアとは結局なにか

シグニファイアとは結局なにか。それは、以下になると考えます。

”モノに備わった、ヒトに行って欲しい行為を知覚させる要素”

「行って欲しい行為」という部分が重要ですね。そのモノに対して可能な行為の選択肢が複数あったとしても、その中で最も適切な行為を実行するようヒトに促すというのが、シグニファイアです。

だいぶ長く書いてしまったので、続きは次回に。